Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【大日本帝国】特別高等警察とは【特高警察】

ちょっと前より、日本の警察制度についての記事を書いています。
とはいっても、主に大日本帝国というか戦前の警察制度の話なのですが。

以下、過去の記事ですが、まずは現代日本の警察制度についての記事と…

oplern.hatenablog.com

それから、戦前の日本における警察制度、

oplern.hatenablog.com

同じく、戦前日本の政治警察である高等警察について。

oplern.hatenablog.com

そして今回は前回記事の予告通り、悪名高い特別高等警察、通称「特高」についてです。

特別高等警察

前回取り上げた高等警察と似たような名前ですが、「特別」高等警察は各種社会運動の取り締まりを任務として発足したものです。
政治活動・政党活動に対処する高等警察と同様、特別高等警察は「政治警察」なわけですが、労働運動やら学生運動やらを取り締まることから「思想警察」と呼ばれることもあったりします。

特高の始まり

社会運動取り締まりを専門とする特高機関が設置されたのは、1911年(明治44年)です。4月に大阪府警高等課に特高係を設置(1912年に課に昇格)、次いで8月21日には警視庁に特別高等課が設置されました。また、警保局保安課にも新たに社会運動取り締まりの専任職員が置かれています。
(警保局については、以前のこちらの記事をどうぞ。)
以後、除々に全国的に拡充され、1928年(昭和3年)には全府県の警察部に特高課が設置され、各警察署にも特高係が置かれることとなります。

上記の特高誕生の背景には、前年1910年の大逆事件明治天皇の暗殺を計画したというして多数の社会主義者無政府主義者が検挙、処刑された弾圧事件*1)や、日韓併合による朝鮮人独立運動がありました。

なお、全国の特高組織の統制については他警察同様に警保局が行いましたが、警保局に特高課はなく、保安課の職掌となっています。
普通の警察業務は各府県警察部長を通してコントロールしていたのですが、特高に関しては保安課が府県警察部特高課を直接掌握していました。このため、検挙なども全国一斉に行ったりしてます。

特高警察 24時

ここでは、特高の「活躍」を軸に、特高組織や活動の変遷を追ってみます。

前節で一口に「各種社会運動」の取り締まりが特高の任務であると延べましたが、「各種社会運動」とは、労働運動、農民運動、無産政党運動、水平運動、学生社会運動、消費組合運動、文化運動、さらには社会主義運動、共産主義運動、ファシズム運動、国家社会主義運動、農本主義運動などなど、「合法非合法運動の諸運動」を指すものとされていました。

初期の活躍

日本では、1914年(大正3年)ごろから近代的労働争議が頻発するようになり、また1919年(大正8年)からは小作争議、1922年(大正11年)からは水平運動が全国的に発生するようになりました。これら運動に対する取り締まりは、特高事務に包含されることとなります。

また、ロシア革命以降、共産主義運動の勢いが増したことを受け、特高事務の範囲がさらに拡大、共産主義運動の取り締まり弾圧に注力するようになりました。

治安維持法の成立

特高の拠って立つ法律は、1900年(明治33年)公布の「治安警察法」だったのですが、1925年(大正14年)4月22日に交付された「治安維持法」により、活動基盤が確立されることとなります。
悪名高い治安維持法は「国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し又は情を知って之に加入したものは十年以下の懲役又は禁錮に処す」といった具合の法律で、共産党労働組合といった結社の弾圧を法的に可能としたものでした。
この治安維持法による初めての弾圧は、1926年(大正15年)の京大学連事件(京都帝国大学同志社大学などでマルクス主義の研究サークルが弾圧・粛清された事件)ですが、その後も1928年(昭和3年)の三・一五事件などで猛威を振るうこととなります。
三・一五事件は、3月15日の明け方に徳田球一野坂参三、志賀義雄、春日正一ら全国各地のブラックリスト上の人物を急襲、1568名を検挙した事件です。その取り調べは苛酷なもので、以後、特高の拷問は悪名を轟かせることとなりました。
ちなみに、「蟹工船」などの作品で知られる作家、小林多喜二は後に三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を発表しています。よく知られたことですが、小林は1933年(昭和8年)に特高により逮捕され拷問により死亡することとなります。
(警察は心臓麻痺による死亡と発表しましたが、小林の遺体には全身に暴行の跡*2があり、特に下半身は内出血により「墨とべにがらを混ぜて塗りつぶしたような」色に染まって膨れ上がっていたそうです。)

治安維持法は三・一五事件と同じ1928年に改正され、さらに苛烈なものとなります。極刑が導入されたり、本人の意図に関係なく「結社の役に立っている」と取り締まり側に判定されれば罰することが可能となりました。

さて特高は、三・一五事件の翌年1929年(昭和4年)、ふたたび全国一斉に中央幹部をはじめ数百名を検挙した四・一六事件、1932年の七・三五事件*3、同年の一〇・三〇事件*4など、厳しい取り締まりを行い、これら運動を逼塞状態にまで追い詰めます。
ちなみに、治安維持法関係だけで5万2000名が検挙されました。

右とか左とか最初に言い出した奴

特高は、いわゆる「左翼」のみならず右翼に対しても取り締まりを行っていたのですが、1936年(昭和11年)には、警視庁の特高課を一課、二課に分割しています。
左翼取り締まりが一課、右翼取り締まりが二課の担当でした。
なお日本共産党壊滅後は、右翼担当の二課の方がはるかに多くの陣容を抱えることとなります。
(とはいえ、右翼取り締まりの態度は左翼に対するほど厳しいものではなかったとか。)

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神聖モテモテ王国より。
なお、節タイトルについて、一般的には、フランス様だと言われてます(革命当時の議会の座席に由来)。どうでもいいですが。

日中戦争〜太平洋戦争

1937年(昭和12年)には日中戦争が勃発しますが、以降、特高は思想取り締まりにとどまらず、言論統制、防諜上の取り締まりにも力をいれるようになります。

1941年(昭和16年)、治安維持法がまたも改正されます。前回の改正とは違いこちらは全面改正であり、従来の7条から65条にものぼるものへとパワーアップしました。
変更内容としては、罰則を厳罰化したり、結社に至らない集団をも禁止したり、それまで刑事訴訟法によっていたものを簡素化して検事権限で被疑者を召喚勾引できるようになったり、刑の執行が終わっても「違反行為を行いそうな人物」は事実上無期限に拘禁(予防拘禁)できるようになったりと、さらにさらに苛烈なものとなっています。

1941年は、他にも特高を強化する法律が公布されています。
国防保安法*5の公布や、刑法への流言飛語罪の追加、言論出版集会結社等取締法*6の公布がそれで、特高はさらに猛威を振るうこととなりました。
同年には太平洋戦争も勃発しますが、それ以降一層取り締まりが厳しいものとなり、「普通の」日本人からも恐れられるようになります。

特高の終焉

さて、法の濫用はもちろん、スパイを潜入させ、拷問、人権無視も日常茶飯時で、やりたい放題だった特高ですが、太平洋戦争敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)の覚書(1941年10月4日付)により廃止されることとなります。
地位、勤務年数など関係なく、特高警察官すべてが罷免されました。その数は4958名に上ります。
なお、警保局保安課長と所属員は内務事務官であり警察官ではなかったため、罷免には該当しませんでしたが、課長は自発的に辞職したそうです。

余談ですが、特高ナチスゲシュタポとは違って「秘密警察」ではなく職員録にも名簿ののっている公然行政機関でした。
そのため、GHQから秘密警察廃止を命じられた時、特高警察官は自分たちのことだとは思わなかったなんて話があります。

最後に

さて、思ったより長くなりましたが、これで戦前警察の制度についての記事は一応の締めとなります。

以前の記事にて、「大日本帝国は、その各種制度を調べるたびにディストピアとしての高いポテンシャルを感じさせ」ると書きましたが、特高はその代表格といった感じでしょうか。
まあ、最近は、現代日本ディストピアとしてのポテンシャルが十分に高いと判明しましたので、権力側が似たようなことを始めないよう*7厳しく監視する必要がありそうです。とはいえ、ディストピアにしたがる日本国民(!?)も割と多いのがなんとも難しいところではありますが…。

あ、最後の最後でなんですが、日本陸軍憲兵隊にも「特高課」があり、社会主義団体などの動静視察や介入を行ってますが、これは特別高等警察とは別物ですので、お気をつけ下さい。

主な参考資料

本記事を書くにあたり、以下の書籍を主な参考資料にさせて頂きました。

戦時用語の基礎知識

よみがえる戦前日本の全景

事典 昭和戦前期の日本―制度と実態

 

 

*1:幸徳(こうとく)事件とも。

*2:こめかみにバットで殴られたような跡があったり、首に細巻きの跡があったり、太ももに釘を打ち込んだような穴が15、6箇所あったり、脛に肉を削りとったような傷があったり、他にも色々。

*3:3月5日に広島にはじまり8月に至る連続検挙

*4:更生日本共産党の熱海会議に端を発した海軍部内にまでおよぶ赤化事件

*5:国防上、外国に対し秘匿するべき外交・財政・経済その他重要な国務にかかわる事項で、御前会議・枢密院会議・閣議帝国議会秘密会議の議事を国家機密として保護の対象とし、この漏洩を防止することを目的としたもの。ちなみに御前会議の名が法律に現れた唯一の例だったりします。

*6:結社集会を許可事項とするとともに、出版物発行も許可制とされました。さらに、発行禁止となった場合、内務大臣が認めるときは、その出版物の以後の発行を禁止しうるのみでなく、同一人または同一発行所の出版物をも禁止できます。

*7:すでに始まってる感もありますが。