Man On a Mission

システム運用屋が、日々のあれこれや情報処理技術者試験の攻略を記録していくITブログ…というのも昔の話。今や歴史メインでたまに軍事。別に詳しくないので過大な期待は禁物。

【伝説は】戦前日本の新聞紙法・出版法【終わらない】

ここ最近、アレな方々が某所で、戦前の朝鮮は日本の植民地じゃなかったなどと、妄言を吐いて騒ぎ立ててたようですね。
これは割と昔からある妄言主張ではありますが、毎度のごとく「植民地」というものについての理解もあいまいなままにウザく熱く語られてるようで、保守だか愛国だか嫌韓だかな方々は進歩しない変わりなくお過ごしのようです。
冀東政権を知らないのに、通州事件について熱く語っちゃう人が大勢いたのを思い起こさせますが、まあ、彼らの行動としては特に珍しくもありませんので、平常運転といったところでしょうか。

ちなみに、当ブログでも植民地については何度か話題にしております。手前味噌的ではありますがリンクを貼っておきますので、ご覧いただけましたら幸いです。

【大日本帝国】戦前日本の統治領域【領土その他】 - Man On a Mission

【戦前の日本】大日本帝国の植民地【外地】 - Man On a Mission

【大日本帝国】植民地法制を(ちょっとだけ)知ろう【植民地の法律】 - Man On a Mission

植民地そのものの記事ではないのですが、個人的に特にオススメしたいのは、こちら。

oplern.hatenablog.com

以下の記事と併せて、大日本帝国様のディストピアっぷりを堪能いただければと思います。

【大日本帝国】稀代の悪法 治安維持法とは【最低伝説】 - Man On a Mission

【誰もそこまで】さらに治安維持法OverDose【聞いてない】 - Man On a Mission

【大日本帝国】特別高等警察とは【特高警察】 - Man On a Mission

大日本帝国様のクソみたいな轍を踏むべく、現代日本もアレ政権のもとディストピアに向けて疾駆しているわけですが、伝説はなかなか終わりませんね。
ともあれ、今回記事はディストピア絡みで、戦前の新聞紙法・出版法について取り上げます。

言論統制法令:新聞紙法と出版法

大日本帝国様には、クソみたいな言論統制法令が複数ありましたが、今回取り上げる新聞紙法と出版法はその中心となるものです。

この二つの法律による制限の主なものは以下の通りでした。

  • 出版・発行の届出の義務
  • 安寧秩序を妨害し、または風俗を害すると認めるときは発売禁止
  • 外交軍事その他官庁の秘密事項の無許可掲載禁止
  • 皇室の尊厳を冒涜し、政体を変壊しまたは朝憲を紊乱させようとする事項の出版掲載禁止

最後の「朝憲(ちょうけん)を紊乱(びんらん)」とやらについて少し補足しておきます。
これは、国家存立の基本組織の変更を指していました。要は、天皇による統治を中心とした国家形態を変えようとする内容を載せると罰せられます。
ついでに、2番目の「安寧秩序を妨害」とは、朝憲紊乱までには至らないまでも、社会公共の安全を不法に破壊することを指しています。こう書くと社会公共ひいては国民のためみたいに聞こえますが、当然というかやっぱりというか、支配者層の望む「社会公共の安全」が優先されました。国にとって都合の悪いことは「安寧秩序の妨害」とみなす、ということですね。自民党が戦前日本に憧れるのも当然というべきでしょう。

さておき、これらの違反は筆者・発行者とも、2年以下程度の禁錮が定められていました。
新聞紙法と出版法は、その内容がかなり似通っているのですが、それぞれ対象範囲が異なります。
新聞紙法は、新聞紙や、時事に関する事項を掲載する雑誌を対象としていました。それ以外は出版法となり、雑誌でも学術や技芸、統計、広告などに関するものは出版法の対象となります。
ちなみに、1925年(大正14年)から1934年(昭和9年)までの10年間で、新聞紙法による禁止は8000件、出版法による禁止は1万7000件でした。

新聞紙法

新聞紙法と出版法、それぞれのトピックを少し。
まずは新聞紙法から。

新聞紙法は、1875年(明治8年)の新聞紙条例を引き継ぐ形で1909年(明治42年)に公布されました。新聞紙条例と比べると全体に厳罰化されています。

新聞社は、発行ごとに内務省、裁判所等に納本しなければならないとされていました。
新聞紙法などに基づく検閲は、常時検閲官庁として内務省、情報局、検事局、警視庁検閲課、府庁特高課などが行います。
さらに必要に応じて検閲を実施する特別検閲官庁があり、郵便検閲、無線電信検閲、戒厳検閲、軍検閲、憲兵検閲などが行われていました。

以前、新聞紙法違反事件の判例集(新聞紙法並出版法違反事件判例集)を読んだことがあるのですが、そこから印象に残ったものを少しだけ挙げておきます。

新聞紙法違反事件判例 その1

まず一つ目。

プロレタリア科学という雑誌が、朝憲紊乱事項に違反しているとされ、1933年(昭和8年)から1934年(昭和9年)にかけての裁判で、有罪判決が下されました。
同誌の臨時増刊における、日本共産党治安維持法違反事件での公判傍聴記事が気に食わなかったようです。公判手続きの模様をそのまま文章にして掲載したところ、被告の陳述(共産主義思想や共産党拡大強化のための方策などが出てくる)部分が「朝憲を紊乱せむとする」記事とされました。
判決要旨によると、「新聞紙掲載の事項にして朝憲を紊乱せむとする虞あるもの」は、「その事項が公開を停めざりし訴訟の弁論に関するもの」であっても「処罰を免れ」ないということです。

上記は、第二審にて「発行人編集人および印刷人の資格に於いて各禁錮1月及各罰金20円」の判決となりました。
ちなみに罰金を完納できない場合は、刑法第18条に則り、主文2項掲記の期間、被告人を労役場に留置するとされています。1日2円の換算でしたので、最大10日間、労役場に留置ですね。
なお、上告は棄却されました。

新聞紙法違反事件判例 その2

もう一つ。今度は俗っぽいやつを。

新聞紙「北國みやこ」が猥褻の記事を掲載したとされ、1934年(昭和9年)の裁判にて、新聞紙法第41条の適用を受けました。
同紙の「湯殿の濡場に罰金60円」と題された記事が気に食わなかった模様。

同記事は、ある料亭の湯殿にて34、5歳の男と23歳の女中が交接しているさまを仲居らがのぞき見している、ということを描写した内容だったようです。
肝心?な部分は伏字にしていたそうですが、「具体的露骨の部分は之を伏字」にしようが「その行文上該記事の趣旨を推知し得べき場合」には風俗を害する事項とされ、第二審にて発行人に対し罰金20円の判決が下されました。
こちらも、罰金を完納できない場合、刑法第18条に則り労役場に留置とされています。1日1円換算となっていましたので、最大20日間の労役場留置ですね。
なお、こちらも上告が棄却されています。

補足

新聞紙法並出版法違反事件判例集は上下巻に分かれているのですが、上記で取り上げた判例はいずれも下巻に掲載されてたやつです。

新聞紙法並出版法違反事件判例集〈上〉

新聞紙法並出版法違反事件判例集〈下〉

たぶん入手は難しいと思いますので、気になる方は図書館等でお探しください。

出版法

出版法は、1869年(明治2年)行政官達の出版条例を継承する形で1893年明治26年)に制定されました。この時点では出版条例と大きく異なる点はありません。

前述したとおり、新聞紙法と出版法の内容はかなり似通っているのですが、「皇室ノ尊厳」の冒涜に対する刑罰規定の有無という差異がありました。
新聞紙法には「皇室ノ尊厳」の冒涜に対する刑罰規定があるのですが、出版法には1934年(昭和9年)に改正されるまで存在していません。

改正前の出版法では、「皇室ノ尊厳」とやらを冒涜する文書図画については、第19 条の「安寧秩序ヲ妨害」する文書図画に包摂されるとしています。これは、新聞紙法と違い「皇室ノ尊厳」に対する冒涜については、内務大臣による発売頒布禁止の行政処分の対象とされるに止まるものでした。
1934年の改正では、第26条に「皇室ノ尊厳ヲ冒涜」が追加され、刑罰(禁錮刑と罰金)の対象とされるようになっています。さらに「安寧秩序ヲ妨害」についても刑罰の対象とされました。

検閲:文学と新聞紙法・出版法

当然ながら、小説などの文学作品も新聞紙法・出版法による検閲を受けています。
1909年、雑誌「中央公論」に掲載された、小栗風葉「姉の妹」という作品が新聞紙法違反として、発売頒布禁止処分となりました。
(「中央公論」は時事に関する事項を掲載した雑誌、ということになりますので、新聞紙法の適用を受けます。)
これに対し永井荷風が意見を述べていますが、「当局者は其発売を禁止したいと思ふものは」ジャンル関係なくなんでも随意に発売を禁止するし、禁止の理由についても明白に発表されたことはない、ということで、かなり好き勝手に検閲されていたことが伺えます。なお、「姉の妹」は、夫のある妻の姦通を題材に取り扱ったことから発売禁止処分となったと思われるのですが、具体的な姦通の描写はありません。
ちなみに、大日本帝国様には「姦通罪」なんてのがあり、夫以外の男性と性交した妻は処罰されます。かなり女性差別的なものなのですが、検閲でも人妻の姦通は「有夫姦」と呼ばれてタブー視されていたそうです。
同年9月に発行された永井荷風の『歓楽』も、風俗壊乱で発売頒布禁止にされてますが、こちらは出版法が適用されました。

最後に

新聞紙法、出版法による言論統制は、満州事変、日中戦争、太平洋戦争といった局面に伴い、段階的に厳しくなっていきます。
太平洋戦争時においては、ほとんど報道の自由は死滅した状況となりました。とはいえメディア側も、戦争報道で民衆を煽ったり、権力へすり寄っていったという経緯もあり、一方的に弾圧された被害者とはいえなかったりします。
……などと書いてると、現在状況を思い起こさせて複雑な気分になってきますが、さて、今後の日本はどうなっていくんでしょうね。

桐生悠々は、日米開戦3ヶ月前に個人誌『他山の石』を廃刊しましたが、「廃刊の辞」として、「この超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候も、唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極」なんて書いてます。
喉頭癌が悪化していた桐生は、1941年9月に死亡しました。)

私は今のところ余命未定ですので、桐生のような立場には立てません。そんなわけで、今後の日本についてなんとか良い方向へ向き直してほしいのですが、残念ながら、民主主義の意義や目的を覚えていない国民が多くなってて、まっしぐらにディストピアへ疾走中のようです。
今再び(最低)伝説の国が帰ってきたり、(アメリカ様の指示のもと)新たなる闘いが始まったりするんでしょうかね。最低伝説2。

……などと最後に意味不明なことを口走りつつ、本日記事を終わります。