【終戦記念日】太平洋戦争関連記事と8月15日以降の戦闘【8月15日】

 この期に及んで、未だに現政権が国民のために働くなどと思っている人がいることに驚かされる*1昨今ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
私は、ここしばらくあまり時間がとれない状況が続いており、更新頻度がかなり低くなっています。

現状、太平洋戦争の節目に当たる日に細々と関連記事を上げているのですが、今回も同様の更新です。
本日は8月15日。終戦記念日ということでそれに絡んだ記事なのですが、残念ながら以前にもまして時間がありません。
そんなわけで、今回は手を抜いて過去、太平洋戦争の節目に当たる日に上げた記事の紹介を中心とさせていただきます。
ただ、それだけというのもなんなので、終戦記念日とされる8月15日以降に行われた戦闘についても少し触れてみることにしました。

太平洋戦争の節目に当たる日に上げた記事

さて、「太平洋戦争の節目に当たる日」といっても色々あるかと思いますが、当ブログでは、12月8日(太平洋戦争開戦)、6月23日(沖縄戦における組織的戦闘終了/慰霊の日)、8月6日(広島原爆)、8月9日(長崎原爆/ソ連参戦)、8月15日(玉音放送終戦記念日)に記事を上げています。

12月8日(太平洋戦争開戦)

近年は、アジア・太平洋戦争と呼ばれることが増えましたが、さておき、1941年12月8日にマレー半島への上陸および真珠湾攻撃をもって太平洋戦争が勃発しました。以下、12月8日に上げた関連記事。

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6月23日(沖縄戦における組織的戦闘終了/慰霊の日)

沖縄県では、6月23日を「慰霊の日」として記念日に定めています。
1945年6月23日に、沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなむもので、沖縄戦の犠牲者の追悼・慰霊および平和の希求を目的として1974年に県令として施行されました。
以下、6月23日に上げた関連記事。

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8月6日(広島原爆)

1945年8月6日、アメリカにより広島への原爆投下が行われました。

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8月9日(長崎原爆/ソ連参戦)

1945年8月9日には、広島に続いて長崎へも原爆が投下されます。
また、前日の1945年8月8日にはソ連ヴャチェスラフ・モロトフ外相が、モスクワ駐在の佐藤尚武大使に対して宣戦布告を通告、8月9日未明より極東ソ連軍とモンゴル人民革命軍の混成軍による、満州国および朝鮮半島北部への総攻撃が開始されました。

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8月15日(玉音放送終戦記念日

1945年8月15日に、昭和天皇による終戦詔書大東亜戦争終結詔書)がNHKラジオにより放送(玉音放送)され、日本国民に対して日本の降伏が伝えられました。

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戦後、8月15日は終戦記念日と定められました。
ところが、1945年8月15日は、単に玉音放送が行われたに過ぎず、外交事案である終戦交渉に意味を持つ日ではありません。
上記2019年の記事では、冒頭で8月15日=終戦の日とされる経緯について少し触れています。
余談ですが、これを書いた当時「来年は、"敗戦"を"終戦"と言い替えた話でもしようかな」などと思ってました。残念ながら時間が取れませんでしたので、またそのうちに。
それはさておいて、上述のとおり8月15日は国民に日本が降伏することを伝えた日に過ぎませんので、実はその後も各地で戦闘が継続してたりします。樺太・千島列島の例を少し。

8月15日以降の戦闘

ソ連は、1945年8月8日に対日宣戦布告しており、樺太にも侵攻します。樺太では8月15日を過ぎても戦闘が続いており、札幌の第五方面軍は、樺太の第八八師団に対しソ連軍に抗戦するよう指令を出していました。
国民義勇戦闘隊*2も召集され、住民を巻き込む地上戦となっています。樺太の民間人は40万人ほどでしたが、住民たちの集団自決も含めて約5000人が死亡しました。
8月20日には真岡にソ連軍が上陸、22日まで戦闘が続いています。ちなみに8月23日に武装解除を受けました。

また、ソ連軍による千島列島北部占領作戦は、8月15日に準備および実施命令が出ています。
占守島では、玉音放送が聞けずに翌8月16日に終戦と知らされ宴会を開いた、なんて話が残ってるのですが、ところが、8月17日~18日にはソ連軍が上陸、21日まで戦闘が続きました。

最後に

以下余計な余談。
太平洋戦争末期のソ連軍侵攻の話になると、保守だか右派だか愛国だかな方々が大喜びでウザく熱く語ってくることがあります。
彼らが通州事件*3を語る文脈なんかとも共通しているのですが、どうも、日本人が被害を受けた話や他国の悪行を持ち出すことで、日本の「やらかし」を打ち消せると思ってる節があるようです。
しかしながら、ソ連軍の悪行が日本の悪行を打ち消すことにはなりません(当たり前ですが…)ので、いちいち私にアピールしていただかなくて結構ですよ、ということを書き記して本日記事を終わりたいと思います。

 

 

*1:現政権は、発足当初から国民の財産を自らの利益に転換することだけは余念がありませんが、どれほどあからさまにやっても国民は怒らないようですので、歯止めが利かなくなってるようです。かなりの割合の人びとは、誰かのお墨付きがないと政府に対して怒ることもできなかったり、この事態に自分たちの選択が影響してるなんて思いもよらなかったりという有様ですので、この先も大変というか、またありえない選択を繰り返す線も濃厚なんじゃないでしょうか。ともあれ現状況により、反知性・反モラルが蔓延るとこういう事態をもたらすんだなあ、などと要らない知見を得ることができたので、これで多少は桐生悠々の心情に近づけたかな?なんて思ってみたり。いや、全然近づきたくはなかったのですが。

*2:国民義勇戦闘隊は、太平洋戦争末期に組織された軍事的国民動員組織「国民義勇隊」をベースとする戦闘組織です
(国民義勇「戦闘」隊と国民義勇隊という紛らわしい名前で、かつ密接な関係を持ちますが、両者は別物ですのでご注意下さい。)。こちらもご参照ください。

*3:中国河北省東部にあった日本の傀儡政権、冀東(きとう)防共自治政府の配下にあった治安維持部隊(保安隊)による反乱事件。「保守」派だか、中韓叩き快楽者だか、とにかくそっち方面の方々が大喜びで取りあげることが多いのですが、あれだけ熱くウザく語ってくる割に、冀東政府が傀儡政権だったこととか、殺害された日本人居留民の半数は朝鮮人だったという情報をばっさりカットしてきたりします。なにか不都合でもあるんでしょうかね?(白々しく)